年の離れた従姉が82歳で亡くなりました。
千葉の斎場までお焼香に行きました。
従姉は、3人目の子どもがお腹にいる時にご主人が亡くなり、女1人で3人の子どもを育ててきました。昭和40年代、まだ1人親家庭への支援や今のように手厚い子育て援助等がなく、女性も結婚すると専業主婦が主流だった時代、女が働きながら、1人で子どもを出産し、3人の子どもを1人で育てていくことは、想像もつかないくらい大変なことであったと思います。さらに、彼女の両親はすでに亡くなっていて、彼女の兄弟(20代の妹と高校生の弟)も、兄弟だけで自立し暮らしていました。
私の父は、そんな2人の兄弟を我が家に下宿の形で住まわせ、3人の子育てをしている従姉のところにも週末車で通い、生活面、精神面等様々な手伝いをしてきました。私も毎週のように父の車に乗せられて通い、3人の子どもたちと遊びました。
その後従姉は、様々仕事を変えながら、住居も何度も引っ越しをしながら、3人の子どもを育てました。私は彼女の子どもたちと年が近いので、お正月や親せきが集まる時に、そのお母さんの豪快な子育ての様子、「よく殴られた」「包丁を向けられた」等の話を聞きました。
正に、この家庭には、シンブルマザーの経済的問題、ヤングケアラー、暴力等、ありとあらゆる現在社会問題になっている課題が山積していました。その状況を、父もそうですが、周りの人たちが助け、子どもたちは逞しく育ちました。
お焼香の後、喪主を務めた長男は涙をためながら、お母さんの壮絶な人生を話してくれました。あんなに「怖いお母さんだ」と言っていた彼が涙で言葉が出ませんでした。家族でどんなに苦労をしてきたか。様々な仕事を見つけては、頑張ってきたすごい女性であったか。本当にお疲れさまでした。
今後、中野区では、様々な困難を抱えている人たちを長い時間見守ってきた経験も、自分の生活の中では考えられない生活をしている人を見たことも聞いたこともない議員が多数で、行政に調査を頼み、ヤングケアラー、虐待、ひきこもり、地域包括ケアの議論をしていくことになります。たくさんの経験をして来た私としては、とても不安を感じます。