我が家と永く交流のあった方が亡くなりました。特に母とは親しく交流を続けていただきました。母が老人ホームにいて連れてこられないので、父と私が葬儀に参列しました。
敬虔なキリスト教徒であった彼女は、毎日曜日、我が家の近くの教会に通っていました。動けないなりに自宅で生活していた母は、教会の帰りに彼女が寄ってくれるのをいつも楽しみにしていました。
彼女は戦後、行き場所のない人たちを助けてきた教会の姿に接し、自らもキリスト教に入信、多くの方に愛を届けてきました。その活動は多くの教会員から慕われました。韓国教会との交流などもありました。
地域ではPTA活動など、常にリーダー的な存在でした。一方、毛皮の仕立て、ろうけつ染め、パッチワークなど多彩な趣味をもっていました。その腕前はプロ並みで、自宅には工業用のミシンが2台あったそうです。絶えず弱い人たちを支え、隣人に愛を与えてきた彼女の存在は、出会う多くの人にとってキリストの愛そのものだったのではないでしょうか。
式で牧師様が言われました。「見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続する」
私も知っている「いつくしみ深き 友なるイエスは」と始まる「祈祷」を歌いながら、優しさと奉仕の精神で多くの活動をされてきた彼女の生涯を思い、涙が溢れてきました。亡くなる最後に彼女は「私は死ぬことは少しも怖くないのよ」と言っていらしたそうです。感動的な葬儀でした。
