今回は、高橋祐介の情状証言と質問、坂本亮の情状証言と質問でした。
これに先立ち、酒井の謝罪文の読み上げが酒井についている3人の弁護人の一人からありました。「私が近藤に対する気持ちを抑えられなかったばかりに、若者を巻き込み、子どもたちからお父さんを奪い申し訳なかった」というものです。大声で、「人を殺しておいて、ふざけないでください」と叫びたい思いをぐっと飲み込みました。
まず、高橋の父親の情状証言です。高橋の父親は企業で工業電子部品の営業をしているそうです。彼は「小さい頃から優しく、人に迷惑をかけたことがない」と自分の息子を評しました。そして、「(暴力をふるったり、迷惑をかけたりする)そういう子なら諦めがついた」と言いました。親が子どもに「諦めがつく」というのはどういうことなのでしょう。この親も、まっすぐ自分の子どもと相対する事ができない人間です。
高橋は大学を出て不動産会社に就職したが「仕事がおもしろくない」と1ヶ月で退職、その後学生時代マージャン店で知り合った坂本の映像制作会社で、アシスタントという立場で雑用係をしていました。映像関係の会社は「上下の関係が厳しく」、上の者の命令には逆らえず、「殺人行為」であるとわかっていたのに犯行に加担したのです。そんな世界が本当にあるのでしょうか。
映像関係の仕事に従事される方に伺いたいです。「映像関係の仕事は上意下達であり、経験の浅い物は自分の上の人間の言う事が、たとえ間違っていても従う掟がある」というのは本当でしょうか。それではまるで、昔の軍隊です。
高橋は、酒井が主人を痴漢行為で社会的に貶める計画を思いついたときから、主人の尾行役でした。痴漢にしたてあげるのは「たいした罪ではない」と考えていたそうです。そして、今回の拉致殺人計画でも、最初から話を聞いていながら、止めるでも、自分は関わりたくないと積極的に言うでもなく、主人を尾行し、「自分が(拉致・殺人の時)手を出さなければいいんだ」と考えていました。結局、彼らの言う「上意下達」により、「上司である」坂本から「お前も手伝え」と言われ、主人に暴行を加え、やがて、布団や布団袋でぐるぐる巻きにし、息もできない状態の主人の横にずっといて、結果的にただ一人主人の臨終に立ち会う事になるのです。(この時、坂本は、高橋に主人を見張らせ、自分は逃げて別の部屋にいました)その間、高橋には苦しむ主人を助ける気持ちはなく、ただただ、自分が捕まらないようにと思っていたそうです。
弁護士に「重い罪になることはわかっているね」と言われた時、高橋祐介は「はい、もう、仕方ありません」と言いました。この時の彼の「もう」が気になります。大学を出た若者が、自分のしたことが、しようとしていることが何を引き起こすのかも考えられず、最後まで「自分はやってない」で通そうとする。結局、大変なことに巻き込まれてしまったと「諦める」。自分の頭では何ひとつ考えられない人間なのです。
次は坂本亮の父親の情状説明と坂本亮に対する質問でした。
私は何度も法廷に行き、何人もの加害者の親に会いましたが、坂本の親だけが、初めて泣き崩れるほど泣き、被害者の家族の方を向いて謝りました。できるだけの償いをしたいと、いち早く賠償金の提示をしているのは坂本亮の家族です。
しかし、当事者である坂本亮は、自分の家族や、巻き込んだ友達には悪いことをした、迷惑を掛けたと涙ぐみますが、被害者の近藤浩に悪かったと考えているとは思えません。「親戚のオジさんを怒らせるのが怖かったから、断れず、殺人に加担した」「自分では手を出さず、指令するだけで、誘い込んだ「友人」に全てやらせ、近藤浩を死に至らしめた」「(すでに近藤浩が動かなくなっていた時でも)引き渡した後で酒井に殺してもらいたいと思っていた」そして、殺人の実行犯となる大罪を犯した後も、「弁償金は親がなんとかしてくれる」「いずれ刑務所を出てきても年老いた親を頼って生きていける」、こんな子どもじみた考えや行動がありますか。まるで親に甘えなくては生きて行けない赤ん坊のようです。
親ならば、自分の息子に対し、被害者に一生どんなことがあっても自分の力で償っていく、きちんと自分の力で払っていくように言うべきではないかと思います。千葉で起きた交通事故の加害者は、刑務所を出所した後、被害者の命日に毎月賠償金を持って謝罪に行っている、という話を聞きました。自分のしたことが、取り返しのつかないことで、どんなに反省しても許されることはないと理解した上で、加害者自身ができるだけの謝罪をするのでなければ、被害者の気持ちは収まりません。
自分で選んでしまった道なのですから、被害者の家族に自分で稼いで賠償し、働いて、働いて、働き詰めていくしかない人生を選択したことを認識して欲しいのです。主人は周囲の人から「あんなに働く人を見た事がない」と言われるような真面目な働き者でした。その人を殺したのです。償って、刑務所で死ぬか、迷惑を掛けたすべての人に償うまで働き続け、謝り続けることしか、歩む道はないのです。つらく、きつく、死んでしまった方が楽でも、謝り続けていかなければならないのが「償い」なのではないかと思います。
次回の裁判予定
7月12日(火)10時から12時まで
東京地裁531法廷
主犯 酒井裕の質問(情状証言の有無はわからない)