2004年、商社の訴訟担当者なった主人は、訴訟相手の元上司により恨まれて殺されてしまいました。突然一家の大黒柱を失い、年老いた両親とまだ学童期の子どもを抱え、私は毎日泣きながら、40才の死ぬはずのなかった人間をこの世から消すための作業の数々をこなしました。刑事裁判、会社との仲裁裁判、犯人たちへの損害賠償の民事裁判、マスコミへの対応など、悲しみの底にありながら、ひたすら動く日々でした。
その当時の私を、「あなたは一人ではないよ」と支えてくれたのが、「あすの会」でした。とにかく縋る思いでその会に入会しました。この会に出会えなければ、私は今頃どうなっていたかわかりません。「あすの会」は、暗闇のなかにいた私を救い、そして大きく育ててくれました。心から感謝いたします。
「あすの会」は社会に対して支援を求めるのではなく、被害者の権利を求めて戦う会でした。
2000年1月、日本弁護士連合会の副会長も務めた岡村代表を中心に結成依頼、被害者の叫びを政策提言に変え、「犯罪被害者等基本法」の成立、「犯罪被害者等基本計画」の策定、「被害者参加制度」の創設、「損害賠償命令制度」の創設、「時効の廃止」、「少年審判の傍聴等の創立」など、刑事裁判を大きく変え、被害者の権利を拡充してきました。
最終大会の今日は、上川法務大臣の挨拶、国谷裕子キャスターの基調講演、岡村顧問による「設立から解散まで」、白井顧問弁護士による「司法はどう変わったか」、高橋顧問弁護士による「補償はどう変わったか」、諸澤顧問による「あすの会が内外に及ぼした影響について」等の講演で、18年間の「あすの会」を振り返りました。
「あすの会」がこれまで社会に与えてきた影響の大きさを物語るように、大勢のマスコミが会場に来ていました。会場には全国から集まった会員、支援者等で、立ち見が出るほどでした。
私も会員の発言で「損害賠償命令制度」について、発言しました。「つらく厳しい状況の中でも、素晴らしい皆様と被害者の権利と被害回復制度確立の道を共に歩めたことを誇りに思います」また、「あすの会のおかげで、前を向いて生きてくることが出来ました」と感謝を述べました。
上川法務大臣は2人のSP伴い、4時間以上の会の最後まで参加されていました。国会議員が、しかも大臣が、このように長時間会場にいてくださるのは異例なことです。「あすの会」の要望を法律に具現化するために、奮闘してくださった大臣に、感謝を伝えたくて、そばに行くと「頑張ってきましたね」と握手をしてくださいました。涙が出ました。上川大臣始め、多くの政治家の方が被害者の権利拡充のために尽力してくださいました。心からの敬意を表します。
「あすの会」の解散はとても残念であり寂しいことですが、岡村先生がおっしゃるように、「今後は被害者が先頭を切って権利を主張していくのではなく、国民の力で被害者の権利が拡充されて行くようにならなければならない」と心から思います。