この双日殺人事件を社会的な問題にしたいと言ってくださる方がいらっしゃいます。マスコミ関係の方、またこの様な事件が二度と起こらないように自分の後輩達に伝えようという退職された警察の方、いろいろな方が今も近藤家にお見えになっています。そして主人の遺影の横に張ってある紙の、酒井裕、坂本亮、高橋祐介、沢田将基、緒方剛、斉藤揚礼の名前をじっと見て、悲しみをあらわにされていきます。
江古田児童館見学
21年度末に廃止となる江古田児童館を見てきました。職員の方にお話を伺いました。ここは現在のような児童館がなくなっても、地域活動が盛んで地域の力で子育てができそうな場所であることを教えていただきました。行政お仕着せのパターン化された子育て空間ではなく、地域の方々が本当に子どもと一緒になって子育てができるのは素晴らしいことです。けれど、そのような力を持たない地域のほうが多いことも事実です。
現在は、地域と学校それにプラス行政も一緒になって子育てをしています。その行政が入っている場所が児童館です。児童館の職員が身体を張って自分達を守ってくれる、一緒になって遊んでくれる、そんな児童館が子どもたちは大好きです。
確かに古い児童館で、今後建替えは必要になってきます。立て替えのお金がないから、学校から児童館までの移動が危ないから、児童館の職員でなくても地域の人がいるから、そんな安易な考えで、学校に児童舘を入れてしまっていいのでしょうか?
地元の子どもたちが中高生になった時、ちょっと不良になっても人を傷つけたりしないのは、子どもの頃から自分のことを心から心配してくれる大人がいたから、生活の中で、してはいけないことを教えてくれた大人がいたから、そんな子どもの心を支える大人の存在が大きいと私は思います。まさに児童館の職員は、親にも止められない少年たちの非行を止めることのできる大切な存在なのです。この大事な「よその大人」の存在は、財政難から消えていこうとしています。
では、行政のやる仕事とは何なのでしょう?たくさんの子育てのプランを作り、区役所でパンフレットを作り、対話集会で区民の意見を聞き、「区は子育てを応援します」と宣伝することですか、そんな外から眺めて意見する子育ては、現在育っている子どもたちにとって、何の意味も持ちません。児童館で子どもたちと遊んでくれる、守ってくれる職員の応援にははるかにかないません。少子化で核家族の今だからこそ、身体を張って自分たちと向き合ってくれる大人の存在を保護者も子どもも求めているのではないでしょうか?