昨日から、36名死亡、32名が重軽傷を負った京都アニメーション放火事件の裁判員裁判が京都地検で始まりました。
事件の内容、裁判の様子はニュースなどで皆様耳にしたとことと思います。
青葉被告の逆恨みから、命を亡くされた被害者、遺族のことを思うとあまりに辛くて言葉がありません。
私は犯罪被害者遺族として、あすの会(現在は新あすの会)の皆さんと被害者参加制度の創設等に関わってきました。
今朝の読売新聞には、「被害者の裁判参加支援厚く」と言う文章が掲載されていました。以下内容です。
被害者らは京都地検が用意したバスなどで地検に移動し、地検では、一般の傍聴人と接触せずに済むように、通路の一部をブルーシートやパーテイションで覆う措置が取られた。京都犯罪被害者支援センター(京都市)の支援員も京都府警と連携し、遺族らが不安を訴えた際に迅速に対応する。
以上
等の被害者支援の内容が書かれていました。
私たち、犯罪被害者たちは、自分たちが被害者になった約20年前には、全くこのような配慮もなく、裁判でのつらい、どうしようもない状態を1つ1つ改善を求めて国に要望してきました。本当につらい被害者遺族たち、それでも、これでも、裁判を取り巻く環境はだんだん良くなってきたのです。
次に、加害者は「心神喪失だった」と言って罪に問えない法律の存在等、被害者遺族たちにとってはたまったものではありません。この問題も仲間が自分の経験を基に社会に理不尽さを現在も訴えています。私もその会に属しています。被害者たちはたくさんの課題に1番つらい思いをしてきたにも関わらず、「もう自分たちのような思いをする人を出さない」ことを願い、1つ1つの課題に向き合い、改善できることはしてきました。ずっと長期にわたって社会に訴え続けて来ています。しかし、テレビなどで、コメンテーター、専門家等が語る言葉は、「この事件を機会に皆で考えなくてはならない時期に来ているのでしょう」と言葉です。日本と言う国は、何人殺されれば、しっかりと議論が出来る人、多くの被害者の経験や、裁判で明らかになった加害者と言う人間たちが示す特長、それらの人間たちを育ててしまう社会等、ここを議論して、殺される人を少なくしていく努力をしないのでしょうか。いつまで、「そろそろ始めなくてはならない」と言っているのでしょうか。
このことは、まさに私が全国で皆さんにお伝えしてきたことです。
いつまでも国が用意した1つの専門分野にこだわる人たちだけでの審議会では議論が深まりません。青葉被告のような人間を2度と出さないための議論を今の教育環境、地域環境、若者のこと等、社会全体が見える人が入って議論を尽くすべきです。
(新あすの会では被害者庁の創設を要望しています)