フィンランドは経済協力開発機構(OECD)の2000年と2003年の国際学力調査(PISA)で高い学力水準を示しました。この結果から見えてくる教育のあり方を、新聞記者、大学教授などフィンランドの国民と生活を共にした方々が発表されました。この発表内容は、うれしいことに、私が日頃学校教育に関して思っていたこと、議会で発言していたことと同じ見解でした。
議会において、無所属の立場での私の発言は、よく野次を飛ばされてきました。「おかあさんじゃあないぞ!」「教育は家庭でやりなさいよ」「学校にそこまで求めてもだめよ!」それでも、私はめげずに公教育の大切さを訴えて来ました。
公教育の役割は学力の最低保障であって、子どもが自分で責任をとれる所まで育てて行くのが教育だと、私は思っています。
フィンランドは国を挙げて、公教育に取り組んできた結果、世界の中でも学力の高水準を示すことになったのです。この学力向上の要因は、とても単純で、少人数教育、落ちこぼれを出さない教育の徹底、教師の質を高めることの3点でした。学校が、すべての子どもたちが課程を修了できるような努力をしているということです。
日本の学校でも、様々な制度(2学期制を取り入れたり、教師の呼び名が変わったり、研究発表、公開授業、習熟度クラスなど)を取り入れてはいますが、落ちこぼれ対策はほとんどありません。休んでしまった子に対しても特にケアはありません。「授業について行けなければ、塾や家庭でお願いします」という態度です。初めは病気で学校を休んだが、そのうち勉強がわからなくなって不登校になってしまったという話も聞きました。勉強をわかるようにしてあげる、学校に行って、わからないことがわかるようになったという喜びを味わう、教育に必要不可欠な部分がなおざりにされています。教育委員会や学校が、新しい取り組みを増やしていく度に、教師は子どもたちと接する時間を失い、子どもたちの学力は学校の外に任されるようになっています。
フィンランドでは社会全体で子どもたちを育てることが常識になっています。保育園から全てが税金で賄われ、大人たちはどんな条件の子どもに対しても責任をもって育てていきます。もちろん、これは国民の支払う高い税金があってこそできることですが、フィンランドは汚職等がほとんどなく、国民の国に対する信頼は厚いそうです。
政治のあり方と教育は切り離して考えることは出来ません。国の諮問会議で、1部のエリートを育て、国を引っ張っていってもらいたいという発言がでる日本と、どの子どもも全体で向上して欲しいと考えるフィンランド。フィンランドの考え方が優しい子どもたちを育てるのではないかと、私には思えます。子どもたちが大人たちに愛されていることを感じてこそ、愛国心も育つような気がします。
シンポジウムの参加者は、遠く北海道や九州からの教育関係者、学生など幅広い層でした。教育評論家の尾木直樹氏も普通の参加者の席で講演を聴いていました。それほど、教育の現場に身を置くものは、今の日本の公教育の在り方に危惧を抱いているのだと思います。
優秀な子どもたちと割り算もわからないまま中学生になってしまう子どもたち、教育に十分なお金がかけられる家庭の子どもたちと給食費を払うことも困難な家庭の子どもたち、教育現場の2極化が進んでいる日本で、これからの教育はどんな方向に進んでいくべきなのか、この講演会場に参加している人たちには何ができるのか、という課題をそれぞれの参加者が持ち、会場をあとにしました。
フィンランドの教育が注目される背景には、学力の高さと福祉の充実は、同じ線上にあることに教育関係者が気づき始めたことがあります。IT化が進み、生活の利便性はどんどん進む中にあって、生活弱者はますます生きにくくなる時代に、公教育がやらなくてはならないことを、これからも私は発言していきたいと思います。
