制服のこと
先日、中学校の制服のことを書きました。(5月17日の日記)「制服のことなど、いちいちうるさい」「どうでもよいではないか」と思う方もいるかもしれません。けれど、青少年育成などの話し合いの場では、「制服」はよくテーマになります。「制服で一律に生徒を統制させるような考え方はいかがなものか」と制服に反対する方もいます。私は、娘自身が毎日着ていく物を考えるのも面倒くさいと考えているので、制服があった方が有難いと単純に思っています。
今日の夕方、娘の卒業した学校の先生から電話がありました。「転校生で夏服を持っていない生徒がいるので、お嬢さんの夏服があったらもらえないか」と言う内容でした。娘が卒業した中学校は、中学校の統廃合により来年度から制服が変わります。そのため、現在の制服の夏服は6月〜9月と約3ヶ月しか必要がなく、作るのはもったいないと言う先生の配慮です。たまたまうちの娘の体格を知っていた先生が、声をかけてくださったのです。確かに夏服は着る日数が短いので、きれいなまま家にありました。きれいな制服が無駄にならず、もらっていただけるのはうれしく、私は喜んで返事をしました。先生も生徒の制服のことまで気にしなくてはならずご苦労なことです。先生の粋な計らいで、たった2ヶ月程度のために制服を買わなくて済んだ生徒さんも保護者の方もよかったと私は思いました。
けれど後から、私が中学生の時の事を思いました。当時、私のクラスに転校生が来ました。その生徒は、前に通っていた学校の制服を着て長い間中学に通っていました。彼女はみんなと違う制服を着て、みんなと仲良く学校生活を送っていました。「どこから引っ越してきたの?そこはどんな所だった?中野とどっちがいいかな?」などクラスで言いながら彼女の学校の話、地域の話などを聞いた覚えがあります。「転校生なのだから同じ制服がなくて当たり前」他と違っていても「それぞれ人には事情がある」とみなが理解し、受け入れる土壌がそのころの学校や生徒たちにはあったように思えます。
今回の制服の件を通して考えたのは、私たちが子どもの頃の時のほうが、「ヒトと違うことがあっても当然」「違う部分を理解して受け入れる」そんなおおらかな気持ちで学校生活が単純に運んでいたような気がします。