議会準備作業
連日、24日から始まる第3回定例会に向けての準備で、資料を集め、検討し、また友人や区民と情報交換などをしています。
さまざまな方と話す中で、よく「子どもが学校に行けない」と言う相談を受けます。
なぜ子どもたちは、学校に行けないのでしょうか?
それぞれケースは違いますが、少し学校を休んでいるうちに、「他の子どもたちは元気に輝いているのに、自分はついていけない」と自信を無くしてしまっているようです。
学校に毎日通ってはいても、不安や不満をたくさん抱えている子どもも大勢います。それでも学校に休まずに行く子どもは、「学校は行かなくてはならないものだ」と教育されているか、あるいは学校に行きたい何かがあるか、の2つのケースです。
「等身大の○○ちゃんで大丈夫だから出ておいでよ」と、本当に心から迎えてくれる友達や先生の存在があれば、今の不登校も少しは減るのではないかと思います。
アメリカの公立学校では、「不登校」は社会的に大きな問題になるそうです。それは、「学校に行かない」子どもが、学校以外で時間を過ごせる「家」も「ベッド」も「食料」も持たない場合が多く、すぐに、外をうろつく「不良化」に結びつきやすいからだと言います。
また最近では、不登校の大学生の問題も聞くようになりました。バイトなどで授業をサボると言うことではなく、「大学に行きたいのに行けない」と言う状態です。辛い思いをしている大学生や家族に対して失礼な言い方かもしれませんが、私には豊かな悩みに思えてなりません。しかし、これがそのまま大人の引きこもりと繋がってしまう可能性もあり、親にとっては放っておけない深刻な悩みです。
幼い頃から、欲しい物はほとんど手に入れてきた子どもたち。なんでも、どんなことも親が決めてくれた子どもたち。いざ自分自身で欲しい物を手に入れようと思った時、そのハードルがあまりにも高く、とても跳び越せないと諦めてしまっているように見えます。
家庭や地域や学校において、学齢期の子どもたちに「真の生きる力」を身につけさせることの重要性をつくづく感じます。