午後、齋藤揚礼(さいとうあきのり)、緒方剛、沢田将基の逮捕監禁致死事件の初公判に東京地方裁判所にいきました。20人もの友人親族が寒く忙しい中、駆けつけてくれました。ありがとうございます。
昨年10月に判事になったばかりだという女性判事が泣きながら調書を読み上げました。被害者家族も知らなかったことも多く明るみになり、犯行のあまりの残虐さに私は泣き崩れました。
「ある人をある人のところへ連れて行く仕事がある」と声をかけられ、スタンガンと軍手と粘着テープを用意して待機し、帰宅途中の近藤浩に「野方駅はどっちですか」と声をかけ足を止めさせ、いきなり暴行を加え、サルグツワの上から顔をガムテープでぐるぐる巻きにして車に詰め込み、さらに手足にテープを巻いて動けなくし、荻窪の監禁場所に連れ込み、布団に巻きロープで縛った上から、粘着テープで巻いて、生きている近藤浩を、ポリバケツに入れようとバケツを用意したが身体が大きくて入らなかったので、用意してあった布団袋に詰め込み、「鼻で息をしている音がしたので平気だと思った」と放置して10万円をもらって帰ったのです。
どれほどの精神的、肉体的苦痛の中で主人が死んで行ったかと思うと、身体が震え、止まりませんでした。
調書読み上げ、証拠提出の後、齋藤揚礼(さいとうあきのり)の情状弁護がありました。22歳の彼は、早稲田学院から早稲田の理工に行き、「別にやりたいことがあった」ので退学し、専門学校に通っていたそうです。「それほど金に困っていたわけではなかった」と言い、「危ない仕事だとは思った」が「恩ある先輩に誘われ断れなかった」と言います。
私は、犯人たちの家族が謝罪に来た時、皆さんが、豊かな普通の生活をしていることを知り、驚きました。犯人たちの戸籍が、九州や東北の奥地なので、田舎を捨てて東京に出て来た若者が仕事も見つからず、金だけを目的に「人殺し」に加担するバイトに乗ったのだと思っていたからです。
「金欲しさ」ではなく、「頼まれたから」「危ない仕事」と分かっていても手を貸した、となると、もっと事態は深刻になるように思えます。これから、彼はどんな世界で生きて行っても、また、「恩ある人」に頼まれたらきっと断れず、殺人だって厭わないのではないでしょうか。父親が証言台に立った時息子は、初めて泣きました。
3人のロープに繋がれた若者は、私には「悪魔」に見えました。
2名の弁護士から証拠の一部に異論が出され、4月後半に再度公判が開かれることになりました。傍聴して楽しいわけはありません。苦しくて悲しくてやりきれなくなるだけだと思います。それでも、お時間のある方は、ぜひ、傍聴して、「許せない若者の顔」を見て「どこまでも身勝手な言い訳」を聞いてください。日程が決まりましたら、また、お知らせします。
2月28日
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3月1日
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3月2日
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