沢田将基、緒方剛、齋藤揚礼 3名の4回目の公判が午前午後とありました。午前中は沢田将基の弁護士の質問でした。沢田は坂本に頼まれて「この仕事を手伝ってもよかったし、手伝わなくても、別にどちらでもよかった」「パチンコ屋の打ち子を仕事としていてお金には困っていなかった。坂本さんを手伝ってあげようという気持ちから参加した」と言っていました。正業のなかった沢田は、坂本からの携帯メールに「何か仕事はありませんか」と返事をします。そこにこの主人の誘拐という「仕事」が浮かび上がって来ます。沢田は「どちらでも良かったけれど・・」と軽い気持ちで、主人を死に至らしめたのです。
かつてマージャン屋で「面倒を見て」「かわいがっていた」という緒方と齋藤を事件に巻き込んだことには深い後悔の念を示しましたが、結果的に殺してしまった、見知らぬ人間、近藤浩のことには未だに思いが及ばないようです。
沢田は自分もかつて拉致されたことがあると言う体験を語りました。自分でも怖いと思う人間と関係していたようです。「自分の経験から」と何度も彼は言いましたが、決して世の中の「基準」となるものではありません。29歳で正業がなく、何をしても続かなかった人間が、短い刑期で出て来て、まともな生活ができるのでしょうか。
徹底的に1つの仕事を我慢強くやっていくことをきちんと習得するまで刑務所から出してもらっては困ります。反省と償いの気持ちがない限り、また犠牲者は出るでしょう。
休憩を挟み午後は、検事から沢田への質問と沢田の親の情状証言、緒方への弁護士、検事の質問、緒方の親の情状証言がありました。
沢田の親は質問が私たち被害者のことになると大きな声で泣きながら謝っていました。午前中に廊下で会った時も両親とお姉さんの3人で私の所まで来て謝っていました。どの親にも共通しますが、自分の教育方針が間違っていたと、息子の殺人裁判の席で初めて反省するのです。沢田のお母さんは秋田でお茶屋を開いていると言っていました。
私の地域のお茶屋さんはご近所の方がお茶を買いながら、おいしいお茶をそこで頂き、地域で起きた出来事などを話していかれる社交の場所になっています。沢田のお母さんのお茶屋では子どもの話はでないのでしょうか?悲しそうに傍聴席でも泣いているお母さんは、地元に帰ってお客さんとどんな会話をするのでしょう。事件のことなど誰にも知られないで、素知らぬ顔で暮らしているのでしょうか。
緒方剛(たける)は頭脳明晰で埼玉県立浦和高校時代は初め東工大に行ってスクエア(ゲーム会社)に勤めたいと言っていたといいますが、その後、パチンコのプロの道を行こうと大学進学を辞めたそうです。
最初から「危なくないですか?」と仕事の「異様性」を理解しながら、緒方は、この仕事を断れば沢田に迷惑が掛かると思い、引き受けたそうです。
犯人たちは皆が皆、先輩の頼み(聞いていてそれが強い絆であるとは思えないのですが)を断るのが悪くて断れず、事件に加担したと言います。そして、自分の親が法廷に出てきてつらそうに話している時だけ涙を浮かべてうなだれます。
巻き込んでしまった「後輩」には悪い事をしたと後悔しているようですが、他人は死んでもどうでもいいのです。あまりにも身勝手で自己中心的な5人の若者の姿に、こんな人間たちに突然襲われ、殺されてしまった主人の無念さを思い、悲しくて苦しくてたまりません。
今回の3人、沢田、緒方、齋藤は、近藤浩が死ぬ前にその場を離れて帰った、ということで、「致死罪」ですが、検事さんが最後に言った言葉、「近藤さんがどうして死んだか分かっていますか。酒井や坂本が何かしたのではなく、あなたたちのした行為で、亡くなられたのですよ」この言葉は彼らの心に届いたのでしょうか。
この日は午前午後の長い公判にもかかわらず、大勢の方が傍聴に来て下さいました。
「午前だけしか傍聴できないの。ごめんね」と帰っていかれた方、「遅くなってごめんなさいね」と午後から来てくださった方、偶然丁度半々ぐらいの人数の方が午前午後と傍聴してくださいました。小学生の子どもの友人もお母さんと来てくれました。初めて来てくださった高校生のお母さんは「傍聴に誘ってくれてありがとう。すごくためになったわ。本当にああいう若者の中で娘は暮らしているのよね」とおっしゃって、このまま、短い刑で、何も反省していないあんな若者たちを許しては、恐ろしくてたまらない」と言っていました。
傍聴にいらしてくださる方は、初めは、私をかわいそうに思い、何とか力になってあげたいという気持ちが強く傍聴に来てくださるのですが、回を重ねるごとに、この犯罪の内容が、「働かない若者」「我慢できない大人」「自分のことしか興味のない人たち」「考えられない大人たち」「集団なら何をやっても怖くないと考える若者たち」の社会的な問題の姿が良く見えてきたことに気づき始めました。こういう若者たちをどうにかしなければ本当に日本に未来はないことがひしひしと伝わる裁判の場です。傍聴に来てくださっている地域の実力者、民生委員の方、元教員の方、元大学の学長、現大学の教授、利益を追求することを何よりも要求される会社の人たち、そして多くのただいま子育て真っ最中のお母さんたちが、自分の子どもたちがこれから生きていく社会が「ただなんとなく頼まれたから・・」で殺人が起きては困ることに共感し、どうしたらいいのかを考え始めているのです。
世の中を悪くしているのは人権、人権といって悪い人まで守ってしまう弁護士たちだといわれた方がいますが、今日の被告の弁護士さんはきちんと被害者に対しての配慮をしてくれたと思います。裁判が終わったら被告との関係がなくなるのではなく、自分が弁護した被告がきちんと償い続けること、再犯をさせないことを、関わった社会的な地位のある者として見届けていただき、指導していただきたいと思います。それが裁判を傍聴していた子どもたちに、明るい未来を約束することだと思います。